第05話   今年も何となく竹取り」   平成24年1215日  
 11月に入って風が強くなって、釣が出来ない日が多くなる頃日向川の土手に竹取りに向かうのが、例年の行事となっている。一昨年12月末に川崎に住む妹の旦那さんが亡くなった。癌だったと知らされたのが、亡くなってからであった。電話が入って急に危篤、数時間して亡くなったと聞かされた。妹の夫は同じ町内で早生まれの学年が一つ上であった。ただ同い年であったので、色んな意味で少なからずショックを受けた。そしてそのショックは、少なからずあり、それが未だに引きずっている。
 竿にする為にその年の秋に採って来たニガ竹は矯めて竿にする気に馴れなかった。それで一本残らずすべて従兄弟に上げてしまった。そして昨秋あまり気が乗らなかったが、いつものように採りに行った。そして56本だったか少ないがまずまずの竹を採って来た。その採って来たニガ竹も処理する気分になれずそのままになっていた。今年の春なってやっと乾燥が済み下処理が済んで、何時矯めても良い竹になっていたのだったが、それも矯める気になれずにすべて従兄弟に上げてしまった。
 そして今年も竹取のシーズンがやって来た。今年は夏が異常に暑かったせいもあって釣行に気分が乗らず殆ど行っていない。年なのか、ショックから抜け出せないのか、その原因は自分でも未だに分からずにいる。ただシーズンに入っても、何事も根を詰めてまで何もする気になれない自分がいる。その代り今年は山野草の写真の撮影にだけは、比較的遠くにまで撮りに行った。
 村上龍男氏は、一昨年に新水族館が完成したら是非飾りたいと作った四間余の庄内竿三本を最後に、すっぱりと竿作りを辞めてしまった。彼は最後の竿作りに、自分を遺したいと云う執念があった。太く長くそして堅い竿を矯める為に、何度か腱鞘炎になり手術までした。そしてその後何本かあった矯木の大部分を友達に譲ってしまった。だからもう作りたくとも二度と作る事は出来ないと云った。
 自分には長い竿は作れないにしても、以前から二間一尺程度の堅いしっかりした小物を釣って楽しめる竿が欲しいと云う夢がある。そして竹を採れば採って来たで、出来ればもっとかっちりとしまった曲り癖のつかぬ竿が良いなと思っている。絶対に大した良い竹を採れないくせにそんな欲張りな自分がいる。
 意志薄弱と云おうか、例年の事だからと竹を採りに行く自分に大いに反省する。何となく取って来た竹で良い竿なんか絶対に作れる訳はない。でも「まぐれでも、良いからそんな竿が作れたら!」と思っている自分がいる。そんな自分が情けない。